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~アセンショナーとは~

アセンショナーとは
アセンショナーとは
当サイトではアセンリングを施す講師と定義しています。他の定義と異なる場合がございますのでご注意下さい。

 

アセンショナーは、一般的な知的教養を終えた後、徹底的に訓練しないという訓練を積んでゆきます。訓練しないという訓練により強制された思い込みを消し去ることができます。学んだ知的教養をふるいにかけ、純粋な知識に精製します。全集中で心の響きのみを感知し、人の本来あるべき姿に焦点を置きます。幼虫→サナギ→蝶々の過程で説明すると、サナギが訓練しない訓練に当たります。

訓練しない訓練を進めてゆくと、テレビCMなどの洗脳を促す物事に敏感になり、間違ったものを間違いだと認識しやすくなります。判断の難しい抽象空間のなかで、正しいとは何かを理解しているのがアセンショナーです。

アセンショナーは、一人で道を切り開くスタンスであるため、定型的なアセンショナーの形というものはありません。一人一人が違う個性と才能を持ち合わせています。私はアセンショナーを生み出す個性を持ったアセンショナーです。つまり、学校教育に適したアセンショナーもいれば、職人に適したアセンショナーも居るのです。他にも、カウンセリングやコンサルティング、法律や政治家、クリエイターや占い師などの知性を備えたアセンショナーにもなれます。極論で言えば、マフィアの才覚を持ったアセンショナーを育てることも可能です。力そのものに罪は無く、力を悪用する人が悪です。必要悪としての善とは、力を悪用するマフィアを力を悪用しないマフィアが裁くといったものです。善のマフィアとは何か例えるならば、法を逸脱して正義を貫く警察官のようなものです。 法律は悪を裁くものなのに、悪を守るものになってしまったら誰が裁くのか?善を偽善としない真実を知る人はアセンショナーになれます。

もしアセンショナーになりたい人は、このホームページの内容を一旦全て忘れ、アセンリングという概念を自分の力で習得ことに専念する必要があります。

最初だけ、アセンショナーはどうしたらなれるのか、理屈だけ説明します。初期段階はいわゆる瞑想から始めます。第2~6段階段階瞑想を深めたあと、第7段階、実生活をしながら瞑想を保ちます。テレビやゲームはほどほどにしないと瞑想力が退化します。仕事中の瞑想は困難です。最も困難なのは、緊急事態中と好きな異性が側に居る場合の瞑想です。

注意点として、文章や言葉によりここで言う瞑想を会得する事は絶対不可能です。瞑想方法は、私からアセンリングを受けていれば無意識に少しづつ習得してゆきます。自力だけでの瞑想は特に危険で、宗教の教祖のように堕落します。私はどうして堕落しないかと言うと、堕落する事を知っているため堕落を感知して修正できるからです。なぜ感知できるかというと、堕落した人たちに苦しめられた経緯から、こういう人になりたくないと思ったからです。どうして思ったか、堕落したらどれだけ人を苦しめるか実体験で知っているからです。

実生活で瞑想を保つには、オプティマズムを断ち切る覚悟が必要となるため、全ての人がアセンショナーになれる保証はありません。思考しながら瞑想するため次元が違います。
道の無い道を歩くため、地獄を歩く覚悟が必要です。進めていくとあまりの険しさの恐怖に逃げ出したくなることもあります。この私ですら何度も得たいの知れない恐怖に襲われました。


アセンリングは将来的に、カウンセリングのような悪用される事が予想されます。もしアセンショナーとして活動したい人が居れば、私が生きている間はアセンリングの発案者である私が、アセンショナーを選定します。選定は、オプティマズムアトラ・コンパスの認識力が高い人とします。

アセンショナーの戒律はリトルアセンショナー<アセンショナー<マスターアセンショナーとなります。
▼リトルアセンショナーは、素質のある訓練生であり、まだ一人で未開の地を歩くのは早い段階の人です。無理に未開の地を歩こうとすると、自分のエゴと欲望で突っ走り堕落します。
▼通常のアセンショナーは、ある程度自分で未開の地を歩き、善の正しい行いを有している人です。善の正しい行いを認識するのが最も難しく、リトルアセンショナーとの明確な違いです。善の正しい行いが念頭にあるからこそ、未開の地を歩くことができます。
▼マスターアセンショナーは、自分で全ての未開の地を歩き、世の中を良くしようと困難に立ち向かえる人です。私と肩を並べ、私の知らない分野の道を歩く専門家です。

余談として、カウンセリングの原型を作ったカール・ロジャーズはアセンリングができました。しかし、カウンセリングが悪用されている事に心を痛め一線を退けたようです。

アルフレッド・アドラーは 、アセンリングできましたが、オプティマズムの恐怖から離脱できなかったようです。

私はというと、正直にまだ怖いです。この前人未到の領域が前人未到であるゆえんは、前人未到そのものだからです。この言葉の意味が分かる人は素質があります。

伝承上では、仏陀もキリストも前人未到の領域を最後まで逃げませんでした。もはや、ゴッドアセンショナーと称えたいです。ただ、伝承とは都合よく書き替えられるので、本当にそうだったかどうかは疑問です。

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